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福岡地方裁判所久留米支部 昭和48年(わ)112号 判決 1979年2月27日

主文

被告人佐藤周三を罰金三万円に処する。

被告人佐藤周三において右罰金を完納することができないときは、金一〇〇〇円を一日に換算した期間同被告人を労役場に留置する。

訴訟費用中、証人寿美法道に支給した分の四分の一及び証人水落昭治に支給した分は被告人佐藤周三の負担とする。

被告人佐藤周三に対する公訴事実中監禁の点について同被告人は無罪。

被告人露口勝雪は無罪。

理由

(罪となるべき事実)

被告人佐藤周三は、福岡県高等学校教職員組合本部執行委員であるが、昭和四八年六月八日午後五時三〇分頃から、福岡県浮羽郡吉井町四九九番地の一所在の福岡県立浮羽東高等学校会議室において行われた同校校長寿美法道(当時四八年)と同組合浮羽支部浮羽東高分会との、職員会議等の問題に関する職場交渉の際、同分会の要請を受けて同日午後八時頃、右交渉に参加したところ、同校長が、同校教職員でない者の交渉参加を理由にいきなり交渉打切りを宣して同会議室を退出しようとしたり、交渉中も組合員の発言に対し殆ど答えないなどの不誠実な態度を示したことに立腹し、同日午後九時頃から翌九日午前零時過ぎ頃までの間、右会議室において、同校長に対し、起立している同校長の左腕を両手で掴んで、後方の長机の上に押し倒したり、左足を両手で掴み、小脇に抱えて後方の長机に押し倒したりするなどの暴行を加え、よって九日間の加療を要する左胸部、左肘部、腰部、両下腿部打撲の傷害を負わせたものである。

(証拠の標目)《省略》

(法令の適用)

被告人佐藤周三の判示所為は刑法二〇四条、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するので、所定刑中罰金刑を選択し、その所定金額の範囲内で同被告人を罰金三万円に処し、同被告人において右罰金を完納することができないときは、刑法一八条により金一〇〇〇円を一日に換算した期間同被告人を労役場に留置し、訴訟費用のうち主文三項記載の分は、刑事訴訟法一八一条一項本文により同被告人に負担させることとする。

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、被告人佐藤周三の本件所為は本件交渉を円滑かつ迅速に進行させるためになされたものであり、その態様も社会的に相当であって、労働組合活動として正当な行為であるし、いまだもって可罰的な程度に至っていないと主張する。

そこで判断するに、被告人佐藤周三の本件行為は、前記認定のとおり、起立している校長の左腕を両手で掴んで後方の長机の上に押し倒したり、左足を両手で掴み、小脇に抱えて後方の長机に押し倒したりするなどのものであって、その相当性を欠くことは明らかであり、労働組合法一条二項にいう正当行為には該らないし、右行為態様、前記認定の被害者の受傷程度等を考慮すると可罰性のないほど軽微な行為と解することもできない。よって、弁護人の前記主張は理由がない。

(監禁の点についての無罪理由)

第一本件公訴事実

監禁の点についての本件公訴事実は、

被告人佐藤周三、同露口勝雪は、いずれも福岡県高等学校教職員組合本部執行委員であるが、昭和四八年六月八日午後八時頃、福岡県浮羽郡吉井町四九九番地の一、福岡県立浮羽東高等学校会議室において、同校校長寿美法道(四八才)と職員会議の件等の校内問題について職場交渉中の同組合浮羽支部浮羽東高分会員約三〇名を支援するため、同組合浮羽支部員約一八名とともに同校会議室に入ったところ、同校長が、同校教職員でないものの交渉参加を理由に交渉打切りを宣して同会議室を退出しようとしたもので、同浮羽支部傘下の組合員多数と共謀のうえ、同校長に対し、「なぜ出るか」「出て行くことがあるか」と口口に叫び、左右から同校長の両腕を掴んで引き戻して取囲み、脱出できないように監視し、同日午後九時頃、翌九日午前零時頃、および午前二時過頃の三回、外部から同校長にかかった電話の通話の間、暫時同校長を同会議室から同校事務室に出したものの、その都度、数名で同校長につきまとって監視し、通話終了後、左右から同校長の両腕を掴み、背部を押す等して強いて同会議室に連れ戻して監視を続け、「帰宅させてほしい」と要請する同校長に、「二日でも三日でも続けるぞ」「帰るなら帰ってみろ」といい、退出しようとする同校長の両腕を掴んで強いて引き止める等して同月九日午前四時四〇分頃まで、同校長を、その意に反して同会議室から脱出できないようにして不法に監禁したものである。

というのである。

第二当裁判所の認定した事実

一  (前提事実)

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

1 被告人両名は、いれずも福岡県高等学校教職員組合(以下、福高教組という。)本部執行委員である。

2 福岡県立浮羽東高等学校においては、昭和四八年四月五日に着任した校長寿美法道(以下、校長という。)と福高教組浮羽支部浮羽東高分会(以下、分会という。)との間に、校長の着任以来本件交渉に至るまでの間、学校運営方法をめぐり、七、八回にわたって交渉が行われていた。

3 同年六月七日午前九時頃、分会は校長に対し、翌八日午後五時から、同校会議室において、職員会議の成立要件、全員必須クラブ活動の問題、同年四月二七日実施のストライキによる勤勉手当カットの件、実習助手の待遇改善の四項目を内容とする交渉を行いたい旨申し入れ、校長はこれを了承した。

4 会議室は、東西に細長い校舎が三棟立ち並んだうちの最も北側の棟の一階にあり、同棟一階は中央部に玄関が設けられ、玄関を入ると幅員約三・五八メートルの廊下を隔てて事務室があり、事務室西側に校長室が、さらにその西側に会議室が並び、校長室、会議室の北側は幅員約二・五八メートルの石廊下が通じている。会議室南側は中庭に面し、その東西側は壁で隣室等と隔絶されている。会議室は、東西約九・一メートル、南北約七・一メートル、床面積約六五平方メートルであって、同室の出入口は、廊下側の中央からやや校長室寄りに、幅約二メートル、高さ約一・八九メートルのノップ錠式の両内開きドアが一個所設けられている。同室中庭側はクレセント錠式のガラス窓が上下二段にそれぞれ四組設けられ、同室廊下側は右出入口のほかねじ込み錠式のガラス窓が上段に四組、下段に三組設けられている。

本件交渉時、会議室に置かれた椅子の状況は、同室西側の黒板前に置かれた長机から数十センチメートル前に校長用の椅子が東向きに置かれ、これから約一・五メートル離れた位置から、これを取り囲むように組合員用の椅子が向かい合って数十個殆ど会議室一杯に雑然と置かれていた。

5 同月八日午後五時三〇分頃から、右会議室において校長と分会員三十数名との間に交渉が始まり、被告人両名及び一五、六名の他校の前記支部組合員(以下、支部オルグという。また、分会員ら、被告人両名、支部オルグを包括するときは、組合員らという。)は別室で待機していた。校長は、交渉の初めに職員会議の成立要件及び全員必須クラブ活動の問題について説明したが、校長が、同年二月一日福岡県立学校管理規則が改定され、職員会議が校長の諮問機関となったことを理由に、職員会議は出席者が一人であっても成立する旨を述べ、これを固執したことから、交渉は行き詰まった。そのため、同日午後八時頃に至って、被告人両名及び支部オルグらも、分会の要請を受け、校長との交渉に加わることになった。

二  (公訴事実に対する積極的事実)

《証拠省略》を総合すると、本件公訴事実に副う事実として、次の事実を認めることができる。すなわち、

1 同日午後八時頃、支部オルグらが交渉に加わるため会議室に入ろうとするや、校長は、外部の人が入って来たので交渉を打ち切る旨を宣して退出しようとしたので、被告人両名は、会議室又は校長室前廊下において(この点、証拠上確認し難い。)、被告人露口が校長の右腕を、被告人佐藤が校長の左腕をそれぞれ掴んで、校長を会議室の前記校長用の椅子の前まで連れ戻したところ、校長は、一旦着席したが、その後二、三回にわたり退出しようとして立ち上がり、歩き出そうとしたが、その都度被告人両名からそれぞれ腕を掴まれ、引き止められた。以後、校長は組合員らの質問や要求に対し応答する口数が少くなった。

2 同日午後九時頃、福岡県教育委員会の小城左昌人事管理主事から校長宛に電話がかかり、校長は会議室を出て事務室の電話器まで行ったが、その際被告人両名ほか数名の組合員が校長の後をついて、校長の電話通話の状況を見守っていた。右電話の通話後、校長が同室において、「職務命令が出たので県教委に出頭しなくてはいけない、帰る。」旨を告げて隣室の校長室へ入ろうとしたので、被告人両名が左右から校長の両腕をつかんで会議室へ連れ戻そうとしたところ、校長は被告人両名の腕を振りほどいて、廊下の、北側窓枠、会議室側窓枠を次次両手で掴むなどして会議室に入るまいとしたが、被告人両名に腕をとられ、会議室に連れ戻された。校長は、会議室においても、職務命令が出たので出頭しなくてはならない旨を言ったが、被告人露口から、今の時刻に職務命令が出るはずはないし、そういう県教委のやり方は使い古された手で、慌てることはないなどと言われ、分会員からも聞き入れられなかったためそのままその場に留まった。

3 翌九日午前一時三〇分頃、福岡県教育委員会の神山太道審議監から校長あてに電話がかかり、その際は被告人露口のみ出て応対したが、午前二時過ぎ頃、再び神山審議監から校長に電話があり、校長が会議室から出て事務室へ赴いたところ、被告人露口及び数名の組合員が校長の後について、校長の電話通話の状況を見守っていたが、通話後校長はじめ組合員らは再び会議室に戻った。

4 神山審議監は右電話で最後に「私達が救出に来た方がよくはないですか。」と尋ね、校長から「はい。」という返事を得ていたので、右審議監ら県教委関係者は、午前三時四五分頃浮羽東高校に到着し、午前四時過ぎ頃会議室前廊下に行って、付近にいた組合員に対し、「校長を早く外に出しなさい。」と申し向けたが、その際組合員は、会議室内側から、同室出入口の両内開式ドアの前に長机を二個並べて置き、ドアが開かないようにした。更に、その頃一部の組合員が会議室の廊下側の窓を閉め、ねじこみ錠をかけようとしたが、組合員の一人が錠を閉めると監禁罪になるぞと叫んだため、すぐ取りやめた。

5 同日午前四時四〇分頃、神山審議監が会議室ドアを開け、中にいる校長に手招きをして早く出るように促したが、会議室出入口付近には多くの組合員が集まり、校長を取り囲む形となったため、神山審議監は校長の腕を掴んで、会議室の外へ引っ張り出した。

以上の事実が認められる。

しかしながら、本件公訴事実中の「『帰宅させてほしい』と要請する校長に、『二日でも三日でも続けるぞ』、『帰るなら帰ってみろ』とい」った事実は、本件全証拠によってもこれを認めることができないし、「(会議室から)退出しようとする同校長の両腕を掴んで強いて引き止める」行為は、前認定のとおり、被告人両名らが交渉に参加しようとした当初の午後八時頃に二、三回なされたのみであって、その後このような行為がなされたと認めるに足りる証拠はない。

三  (公訴事実に対する消極的事実)

ところが、他方、《証拠省略》を総合すると、以下のような事実を認めることができる。

1 浮羽東高校では、寿美校長の前任者である宮尾和夫校長時代に、同校教職員以外のオルグが参加して校長との交渉が行われたことがあり、寿美校長着任後も、昭和四八年四月六日から翌七日にかけての、いわゆる着任交渉及び同年五月二五日の交渉の二回にわたり、福高教組本部役員、支部オルグらが参加して校長との交渉が行われたことがある。

2 右の着任交渉の際は、同年四月六日午前八時三〇分頃から翌七日午前五時頃まで行われるなど、交渉が長時間に及ぶことも少くなかった。

3 同年六月八日午後二時頃、校長は分会に対し同日の交渉にオルグを入れないで欲しい旨申し入れたが、分会側は今まで通り行う旨回答し、オルグを入れないことについて合意するには至らなかった。その際、校長は、今日はじっくり話し合いたい旨述べた。

4 本件交渉が開始された八日午後五時三〇分以降九日午前四時過ぎ頃までの間、会議室の出入口が施錠されたり、その中庭側及び廊下側のガラス窓が特に閉められたり、施錠されたりした形跡はない。

5 校長は被告人らや支部ナルグが会議室に入って来たとき、その氏名、所属を尋ねたり、同人らに対し退室を求めたりしていない。

6 会議室から一室隔てたのみの事務室には北川万寿夫事務長が本件交渉開始以来終始待機し、手島徳市警備員も八日午後五時頃から九日午前二時頃まで事務室に在室し、その後も会議室から廊下、更衣室を隔てたのみの警備員室で仮眠し、また、北川事務長又は手島警備員は、交渉中の校長や組合員あてにかかった電話を取り次ぐため、数回にわたり会議室に赴き、同室ドアを開け、ドア付近にいる組合員にその旨連絡しているが、その際校長が北川事務長や手島警備員に救出手配を依頼したことはない。

7 校長は、九日午前零時頃、同人の妻幸子からかかってきた電話に対し、仕事中だからという理由で応対していないばかりでなく、小城管理主事や神山審議監から前記各電話を受けたときにも自ら積極的に救出依頼をしたことがない。

8 九日午前零時過頃から約一時間にわたり、本部役員である被告人両名及び支部オルグが退室して、分会員のみによる交渉が行われたが、その際は、校長自身、八日午後五時三〇分頃から午後八時頃までの間行われた分会員のみによる交渉の場合と同様坐って話し合ったのであった。

9 八日午後八時頃から九日午前四時四〇分頃までの間、校長が帰して欲しい旨の発言をしたのは、前示八日午後八時頃及び午後九時頃の二度の機会の計四、五回である。

10 九日午前四時過ぎ頃、神山審議監らが会議室前廊下に来た際、組合員が会議室内側からドアの前に長机を二個並べて置き、ドアが開かないようにしたが、その後まもなく組合員自身が廊下に出るため長机をドアの横に押しやったので、ドアも開閉自由の状態に戻っている。

11 交渉が長引いたのは、校長が職員会議の成立要件について定足数はなく、出席者が一人でもこれを充足すると固執したからであって、次回交渉期日の取決めをして交渉を終了した時点においてもまだ当初合意した交渉議題は残されていた。

12 九日午前四時四〇分頃、交渉が終了し、校長が会議室から退出しようとした際、校長が「自分は本当は職員会議は一人でも成立すると思っている。神山審議監に言われたから仕方なく取り消した。」旨の発言をしたため、組合員らが校長に抗議するなどし、退出しようとする校長に詰めより、事態が紛糾した。

第三当裁判所の判断

刑法二二〇条一項にいう監禁とは人をして一定の区域の外に出ることを不可能又は著しく困難ならしめることであるが、脱出を不可能又は著しく困難ならしめる障害としては、物理的側面及び心理的側面の両面から考える必要がある。

そこで、これを本件について第二の一の前提事実、第二の二の公訴事実に対する積極的事実、第二の三の公訴事実に対する消極的事実を合わせて考察する。

一  六月八日午後五時三〇分頃に本件交渉が開始されて以来九日午前四時過ぎ頃までの間、前記第二の二の4に示した、九日午前四時過ぎ頃神山審議監らが会議室前廊下に来た時点以外に会議室のドアを開かないようにしたことはなく、かつ会議室の窓を特に閉めたり、施錠したりした形跡もなく、九日午前四時過ぎ頃一部の組合員が会議室の廊下側窓を閉め、施錠しようとした動きがあったものの、すぐ取りやめられ、またその頃会議室ドアの前に長机が二個並べ置かれたのも極く一時的なものにすぎない(それも校長の脱出を妨げるためのものであったかは甚だ疑わしく、むしろ神山審議監らの入室により交渉が妨害されることを防止するためのものであった蓋然性が強い。)のであるから、校長が会議室から廊下に出て脱出することが不可能又は著しく困難な物理的障害があったとは認められない。

もっとも、校長の着席していた椅子の位置から会議室出入口までは多数の組合員らが着席し、外観上校長は交渉の場に着席している組合員らのため廊下との出入りを自然に阻まれた形で、いわば出入口を扼されている状況にはあったけれども、それはもともと校長が多数の分会員と会議室において団体交渉をする合意をしたうえ、そのような状況を作り出したものであり、被告人両名や支部オルグも右交渉に参加するため入室、着席していたものであって、事前にオルグを入れない合意も成立してはいなかったのであるから、右状況をもって分会員ら又は組合員らが校長をして廊下との出入りを不自由にする客観的状態に置いたものということができないのはいうまでもない。

二  次に、校長の脱出を不可能又は著しく困難にするような心理的障害の有無、程度について、組合員ら並びに校長の各行為の主観、客観の両側面から考えてみると、

1 前記第二の二の1に示したように、八日午後八時頃支部オルグらが交渉に加わるため会議室に入ろうとするや、校長が、外部の人が入って来たので交渉を打ち切る旨を宣して退出しようとしたことや、その直後二、三回にわたり退出しようとして歩き出そうとしたことは、校長において外部の者が入って来たので迷惑に思い、これを避けたい思いで行ったものと解されるのであって、それをもって校長が自己の外部に出る自由が拘束されているのを解いてもらいたい趣旨で行ったものとは解し難い。

また、その際被告人両名が校長の両腕を掴んで連れ戻し、あるいは引き止めたことや、前記第二の二の2に示したように、同日午後九時頃校長が小城人事管理主事からの電話を受けた後、職務命令が出たので帰るなどと告げて校長室に入ろうとするのを被告人両名がその両腕をそれぞれ掴んで会議室の元の椅子に連れ戻した行為は、校長に交渉打ち切りの翻意を求める意図のもとに行われたと解する余地が十分にある。なぜなら、浮羽東高校においては、前任者宮尾校長時代にオルグが参加して交渉が行われたことがあり、また寿美校長自身も着任後二回にわたり(殊にその二回目の交渉は本件交渉の十数日前に行われたばかりである。)、本部役員、支部オルグの交渉参加を認めていたのであるし、本件交渉前に校長と分会との間にオルグ排除の合意は成立していなかったのであり、それに校長は支部オルグらが入室して来たとき氏名、所属を尋ねたり、同人らに退出を求めたりするなどの打診をしてはいないのであり、同日午後九時頃職務命令が出たので帰るなどと告げたときも、校長は被告人露口から今の時刻に職務命令が出るはずはないし、そういう県教委のやり方は使い古された手で慌てることはないなどと言われるや、格別反駁したり、より強い退出の意思表示をしたりすることもなくそのままその場に留まっているのであるから、組合員らにおいて、オルグ参加等を理由とする校長の突然の交渉打ち切りについて校長の翻意を求めることは容易であると考え、右行為に及んだと解する余地が十分にあるからである。また校長自身もオルグ参加等を理由とする突然の交渉打ち切りに対し、組合員らから強く翻意を求められるであろうことは従前からの経緯に照し十分予測しうるところであるから、被告人両名の前記行為により受けた心理的影響はさほど大きくはないものと考えられる。

2 本件交渉中の校長に対する脅迫の有無を考察してみても、公訴事実記載のような脅迫がなされたことを認定することができないことは前記のとおりであるし、他に組合員らから校長に対し害悪の告知がなされた証跡はない。

3 校長は前示経緯により少くとも八日午後八時頃までは会議室において団体交渉を行うなどして自ら長時間在室して交渉を行う意思表示をしていたものであるから、同人が自己の外部に出る自由が拘束されていると認識し、その解放を求めるのであれば、組合員らに対し交渉の場から離脱する意思が翻意の余地のない程確固たることを表示し、かつ的確な脱出手段を講じてこそ、客観的には校長の脱出意思の確固性と同人に対する自由の拘束が明らかになるというべきであろう。

そこで、同日午後八時頃以降校長の側からこのような明確な意思表示と脱出手段を講ずる措置がなされたか否かを検討してみると、校長は、八日午後八時頃支部オルグや被告人両名が交渉に参加した後は組合員らの質問に対し応答する口数は少くなったものの全く応答をしなくなったとは認めるにたりないのであるし、前記第二の二の1、2に示した、翻意の蓋然性を窺わせる言動をこえて、自己の退出の意思が翻意の余地のない程確固たるものであることを示したり、公訴事実記載のような監禁がなされたのであるならば当然発するであろう強固な抗議の発言(ちなみに、そのような行為をすれば危害を加えられるおそれがある状況があったとは認められない。)をしたり、あるいは機会を改め分会員とのみ交渉をする申入をするなどして当日の交渉を収束する方策を講じたりして、自己の脱出意思の確固性を示す明確な言動を示した形跡がないばかりでなく、校長は公訴事実記載のような前示交渉時間中、(一)八日午後九時頃小城管理主事から電話を受けたとき、(二)九日午前零時頃妻から電話がかかったとき、(三)同日午前二時過頃神山審議監から電話を受けたとき、(四)北川事務長や手島警備員が時折電話の取次のため会議室出入口に来たときに、いずれもその機会を利用し、電話の相手方や、事務室に待機しあるいは会議室に取次に来ていた北川事務長や手島警備員に対し又は同人らを通じて関係機関に対し救出を求めることができたと考えられるのに自ら積極的にそのような方策を講じてもいないのであるから、客観的に校長の脱出意思の確固性と同人に対する自由の拘束が明らかであったとはいえない。

4 当日の交渉は八日午後五時三〇分頃から翌九日午前四時四〇分頃まで深夜に及んで長時間行われているのであるから、この点から公訴事実記載の八日午後八時頃から九日午前四時四〇分頃までの交渉において校長の身体の自由が不当に拘束されたか否かを考えてみよう。

前叙のように、校長を相手として同年四月六日午前八時三〇分頃から翌七日午前五時頃までの長時間交渉が行われた例がある(このような深夜に及ぶ長時間交渉の原因は、交渉技術の未熟や時間に対する東洋的感覚などによるものであって、望ましくないことはいうまでもないけれども、それは本件では事情に帰する。)ばかりでなく、校長は分会に対し予備交渉の段階で今日はじっくり話し合いたいと述べていたのであるから、その表示意思は分会員その他の組合員らに伝わり、同人らにおいて校長は本件交渉においてはじっくり話し合う意思であると認識していたであろうし、校長もそのことを認識していたであろうと考えられ、しかも交渉が長引いたのは校長が職員会議の成立要件について定足数はなく、出席者が一人でもこれを充足すると固執したからであって、交渉終了時においてもまだ当初合意した交渉議題は残されていたのであり、その間九日午前零時過頃から約一時間校長は分会員と実質的交渉を行っているのである。従って、校長の側からみても自己の外部へ出る自由が違法、不当に拘束されているという意識があったとは認め難いし、組合員らの側からみても校長を不当に長時間交渉の場である会議室から外部へ出ることを著しく困難にするような態勢をとったものとは認めることができないのである。

5 なお、九日午前四時四〇分頃の校長退出の際の状況は前記のとおり、校長発言に対する抗議のため校長に詰め寄り、一時的紛糾状態になった結果にすぎず、校長を会議室から脱出させまいとする意図に基づくものとは認められないし、校長もそのことは認識していたものと認められるから、右状況における組合員らの行為もその脱出を困難ならしめるためのものと考えることはできない。

このように検討してくると、前記第二の二に示した、公訴事実に対する積極的事実によって、組合員らが校長を会議室から脱出することを不可能又は著しく困難ならしめるような心理的障害を作出したとも認められないというべきである。

三  以上の次第であるから、被告人らの本件所為は監禁罪の客観的構成要件である、人を一定の場所から自由に出ることを不可能又は著しく困難にしたものとみるだけの証明が十分でない。そこで、刑事訴訟法三三六条により、被告人佐藤周三に対して本件公訴事実中監禁の点について無罪の言渡を、被告人露口勝雪に対して無罪の言渡をすることとする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 池田憲義 裁判官 岡村道代 一宮和夫)

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